ただし、いかにもなゲイ小説だけが対象ではない。
それまで「主流」と見られていた英純文学を同性愛文学として読み直すことが目新しい。
例えば、文豪サマセット・モームがゲイであることは公然の秘密であった。
自伝的小説『人間の絆』にそんな要素があったか記憶にないが、そう思って読めば印象が変わるかも知れない。
オペラ化された知的幻想小説『ねじの回転』の作者ヘンリー・ジェイムズまでがとは少しショック。
そういえば同オペラの作曲者ブリテンもゲイであったため叙勲が遅れたといわれる。
イギリスが「抑圧されたアングロサクソン階級社会」であることを再認識。
『サロメ』や『ドリアン・グレイ』のオスカー・ワイルドといえば、ゲイの代表というか変態扱い(?)されている作家だ。
収録された『W・H氏の肖像』はかなりの作品で、シェイクスピアの謎を解くのに人生をかけた若者の最後を描く。
主人公だけでなく、シェイクスピア自身のゲイについても描かれるのがおもしろい。
ワイルド作品で教科書にも載っている童話『幸福な王子』も典型的なゲイ小説であるという。
死を望む年長者(王子の銅像)を看取り殉死する若者(ツバメ)の姿はこの分野のスタイルらしい。
この世で迫害を受けた二人が天国で神による救済を得るというのにも頷ける。
子供の頃、なぜツバメはいつまでも王子の側を離れないのか疑問だったがそういうことかという気がする。
なお、少し似た構造を持つものに漱石の『こころ』がある。
「私」が回想する「先生」は、一見美化された師であり、過去の良き思い出のように読める。
両者ともゲイではない(はず)だが、改めて読むと少し印象が変わる。
日本も精神抑圧的建前社会だった反面、同性愛は「公然の秘密」の傾向があり、珍しくなかった。
(戦国大名の小姓など)
一方、建前社会であるキリスト教先進諸国は少し違う。
隔離―カミングアウト―激しいバッシングを経てゲイを容認する過程で西欧諸国は近代化していったともいえるのだ。
ミステリー好きなら一度ははまる名探偵ホームズシリーズも今考えれば相当怪しい。
ホームズとワトソンの関係はどう見てもゲイ。
ただしワトソンの結婚でホームズの片思いに終わる。
最近のハリウッド映画でもそれが伺える。
歴史的名探偵を描いた作品もビクトリア女王のもと抑圧された「大英帝国全盛期」の産物なのだ。
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