この「日本最初の小説」は、理由も告げず月に帰っていく娘を描いた「不条理小説」でもある。
アニメーター高畑勲が 『かぐや姫の物語』 でこの問題に決着をつけることを期待して観に行った。
結論からいうと、特に新しい解釈はなく 2時間半を過ごし、正直少し疲れた。
私も含め、なにか納得できない顔をして帰る客が多かった。
かぐや姫が生まれたいきさつや「月の世界」の秘密は明快には示されなかった。
(公開中なのでストーリーは詳しく述べない)
映画館初日の客層はほとんどが大人で、ただの日本昔話を期待していたわけではないので残念だった。
それにしても、ポスターにある「姫が犯した罪と罰」というのは少し思わせぶり過ぎないか?
かわいいエピソードの積み重ねだけでなく「かぐや姫」そのものの存在に関する骨太のストーリーが欲しい。
田舎でのサイドストーリーは生き生きと描かれているが、まず「姫」を皆自然に受け入れるものか?
竹から産まれてあっという間に成長し月に執着を示す「姫の異常さ」は妖怪並みなのである。
しかし、「姫」は愚かだがいい人に囲まれ、普通に成長していく。
ダークさを垣間見せるが、周りはのほほんとしていて、「姫」一人のキャラクタの問題に過ぎない。
これでは、個人の思想・信条を超えて世界観を打ち立てるにはほど遠い。
私は『オズの魔法使い』に対する 『ウィキッド (Wicked)』 のようなストーリーを期待していたのだ。
劇団四季の『ウィキッド』は こちら
『ウィキッド』を観た後では『オズ』の世界観が変わってしまうように。
それにしても、『かぐや姫』の最後に出てくるあれは何だ? と言いたくなるのは私だけではないだろう。
その姿や久石譲のお祭り風音楽(サンバカーニバル?)がフィナーレにふさわしいとは思えない。
『かぐや姫』公開前にNHKなどで高畑監督の特集が組まれ、技術的な斬新さが宣伝されていた。
意識してかどうか分からないが、映画の内容には踏み込んでいなかった気がする。
確かに映像に目新しさはあった。
声優でなく豪華俳優を起用しているが概ね好演。
だからといって、本作の存在価値はどこにあるのか?
他の方々の意見をお聞きしたいものだ。
ラベル:映画・ドラマ