歴史ある都市には歩いて興味深い場所が多く、何かあればコンビニで物資が調達できる。
ところがコロナ下で人込みに出る気が失せて、田舎歩きに切り替えつつある。
といってもクマやイノシシが出るようなド田舎は勘弁してもらいたい。
幸い関西には都市近郊に歴史を伝える場所が数多くある。
先だっては、まず阪急西山天王山駅から京都縦貫自動車道の高架下に沿って歩いてみた。
田舎の風景の中に近代的な道路が走るのは壮観だ。

高架下には縄文遺跡が点在するのだが、1万年前の「遺跡」はただの空き地になっており、古の姿を空想するしかない。
参考マップ
トンネル前まで登り切ったら長岡天神に向けて下る。
道真公に縁がある場所だが、縄文時代に比べればはるかに新しい気がしてくる。
その後、長岡京市を横断して向日市に入る。
途中で名刹 乙訓寺 を詣でるのも良い
阪急洛西口駅の手前 10分ほどにあるのが憧れの 物集女車塚古墳 だ。
ここは綺麗に整備されており、ベンチもある公園だ。
さぞかし大事にされてきたと思いきや、きちんと調査されたのは昭和末期になってからという。
興味深いのは、ここが 継体天皇 と関係があるらしいことだ。
本来天皇になるべきではなかったが、前の天皇で男子直系が絶えたため、応神天皇まで 5代遡ってその傍系の子孫から選ばれたという人。
これは現在の皇室に置き換えてみる。
令和天皇の次で男子が絶えるため、明治天皇の別な子供の子孫を探すということに相当する。
(そのころは妾; 一夫多妻が許された)
1500年前の 6世紀冒頭に、すでに同様な天皇制存続ピンチがあったわけだ。
感心したのは、この日歩いた十数キロは旧長岡京中心に広がっているが、現代の ハザードマップ 上で水害や土砂災害の危険を回避した地域ばかりだ。
平安京の前、わずか 10年ほど首都だっただけだが、1200年以上前に自然災害の脅威を避ける土地が都に選ばれていたのだ。
当時の地形が今のままとは限らないので、判断材料が同じとは言えないかもしれないが...
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